家族支援のきほん

児童虐待の基礎知識 その4 児童虐待の未然予防

児童虐待は、おきる前に「おきない」を「おこす」のが一番いい。
ここでは、「おきない」状況を「おこし」、それをキープする知恵を挙げていきます。

リスクと予防(強み)

虐待に至る要因やその他のリスク、あるいは逆にその予防要因を分析し、リスクを減らし、予防をより強化しようという、アメリカなどで用いられてきた方法があります。
リスク要因を列挙するだけでなく、それを防ぐ要因についても考え、虐待発生リスクを予見しよう考え方です。

厚生労働省でも、リスク要因については詳しい記事で、解説しています。
なぜか、この厚生労働省の記事には、予防要因分析の解説がないんですよねー。
アメリカのサイトでも、予防要因に注目するのは、リスク要因に注目するのと同じくらい重要、と言っているし、私も、この、予防要因、つまり個人、家族、そしてコミュニティが持っている強みに注目することこそ、家族支援の家族支援たる所以と学んだのですが……。

というわけで、
アメリカのCDCというサイトからも、虐待のリスク要因と強み要因を引用しておきますね。

リスク要因
被害を受ける側
●4歳以下の子どもである
●ケアギバー(世話する人)の重荷が増すような特別なニーズがある(たとえば、障害、精神的な問題、慢性病など)
加害してしまう側
●子どものニーズ、発達、子育てスキルなどの知識に乏しい
●児童虐待の被害を受けた過去がある
●家族内に、虐待、鬱を含む精神障害が存在する
●若年、低学歴、シングル、多子、貧困などの親
●同居する血の繋がらないケアギバー(世話をする人)(たとえば、母親の男性パートナー)
●子どもの不適切な扱いを支持したり正当化したりしてしまう傾向のある親の考えや感情
家族の状況
●家族のストレス、別居、離婚、DVなどの暴力
●子育てストレス、希薄な親子関係、ネガティブな交流
コミュニティ
●暴力的な地域
●不利な状況が集中した地域(たとえば、極貧、高い失業率、酒屋の密集)
●社会的関係の貧しさ

強み要因
家族
●サポートし合う家族環境と社会的ネットワーク
●基礎的なニーズ(衣食住)に対するしっかりしたサポート
●親の子育てスキル
●安定した家族関係
●家庭を保つルールがあって、子どもを見守っている
●親の雇用
●親の学歴
●ちょうどいい住居
●医療や社会サービスにアクセスできる状況
●家族の他に、ロールモデル(お手本)やメンター(助言者)となる世話してくれる人がいる

未然予防のためには、ここに挙げたリスク要因に注目し、足りない予防要因を補填、補強していくことが必要です。

mami
mami
若かったら、ビンボーだったら、シングルマザー(ファザー)だったら、虐待リスクが高いなんて、ずいぶんな言われようだよなあ。そういうわけでもないんじゃないのかなあと思うけど、まあ、あくまで統計的にはそうということなのか?

親へのファミリーライフエデュケーションの提供

上に挙げたリスク要因のうち、●子どものニーズ、発達、子育てスキルなどの知識に乏しい ●子どもの不適切な扱いを支持したり正当化したりしてしまう傾向のある親の考えや感情 ●子育てストレス、希薄な親子関係、ネガティブな交流 などに対応するのが、ファミリーライフエデュケーションです。

まず、この文章を読んでください。

David Maceは、1990年に亡くなるまで、長い間、夫婦や家族向け予防教育プログラムの第一人者であった。
彼はしばしば、曲がりくねって大変危険な山道の果てにある深い谷に位置する小さな町のたとえ話をした。
町に続く道は、暗くて狭く、一番危険なカーブを知らせる何の標識も、ミラーもなかった。
そのため、何年もの間、何台もの車が、崖に突っ込んだ。
多くの人々は重傷を負い、死に至る者もあった。
ついに町の行政が、なんらかの対策を立てることにした。
何週間かの調査研究を経て、行政は対策を講じた。
その結果、救急車が崖の下に待機することになり、これによって、事故が起きた時、生き残ったものは病院に搬送され、運がよければいくつかの命は助かることになった。
非論理的な点は明らかである。
なぜ、事故が起きるまで待っているのか? なぜ、標識やミラーにお金をかけないのか?もしそうすれば、たくさんの事故が防がれ、お金だけでなく、悲劇も、ずいぶんと少なくてすんだはずなのに!

この喩えを児童虐待に置き換えて考えると、この問題におけるファミリーライフエデュケーションの役割がわかります。

事故(児童虐待)が起きる前に、標識(子育ての方法の伝授虐待のリスクの理解)を提示し、ミラー(グループワークで親自身が自分の状況を把握し、必要なら次の支援に繋がる)をつけることが、ファミリーライフエデュケーションのやることです。
そうすれば、そもそも児童虐待を未然に防ぐことができる。
ところが、実際には、救急車を崖の下に待機(児童相談所の設置)や、病院に搬送すること(虐待通告)や、いくつかの命が助かること(虐待を受けた人のカウンセリング)ばかりが注目されがちなのです。

ファミリーライフエデュケーションは、つまり教育的家族支援
成人教育学の手法を使って、多方向コミュニケーションの講座を連続回開催し、子育てやその他の知識を付けたり、想いを共有したりすることで、親の教育力や人間関係を作る力を確かにしようという試みです。

例え話で言うように、精神科医やカウンセラーよりずっと少ない予算でできるので、未然予防教育はお勧めです。
(今行われている未然予防教育は、残念ながら効果的なものが少ないように感じます。)

親へのファミリーリソースプログラムの提供

ファミリーリソースプログラムには、様々なものがありますが、その代表格が、子育てひろばや子ども家庭支援センターです。
ちなみにこれらの場で働く人を、英語では、ファミリーリソースプラクティショナーとかファミリーサポートワーカーとか言います。

ファミリーサポートプログラムは、●4歳以下の子どもである ●ケアギバー(世話する人)の重荷が増すような特別なニーズがある(たとえば、障害、精神的な問題、慢性病など) ●家族内に、虐待、鬱を含む精神障害が存在する ●若年、低学歴、シングル、多子、貧困などの親 ●家族のストレス、別居、離婚、DVなどの暴力 ●不利な状況が集中した地域(たとえば、極貧、高い失業率、酒屋の密集) ●社会的関係の貧しさなどに対応します。

ファミリーライフエデュケ―ションは教育的手法、ファミリーリソースプログラムやファミリーサポートプログラムは、福祉的手法です。
ここで大事になるのは、届くところの平等という概念です。
誰にでも同じサービスを一律に提供するのが平等ではないのです。届くところ、つまりサービスの受け手のウエルビーイングが、他の人と同様になることこそ、平等。となると、そうなるのにどれくらいのサービスが必要かは、個々の事情によって違うのだから、出すところが一律に同じサービスを提供することは平等ではないという理論です。

家族支援における福祉的手法においては、この届くところの平等を大切にします。

子育てひろばの予防的役割について、詳しくは

子育てひろばは虐待予防の最前線

をご覧ください。

コミュニティ作り(ネオご近所さんのススメ)

家族支援は地域づくり。
子どもと家族、家族と地域は、密接に関わる、切っても切れない関係と、家族支援は考えます。
だから、地域づくりをすることで、家族を支援することになり、最終的に子どもの健やかな成長に寄与すると考えるのです。

かつて、昭和の頃には、調味料を貸しあったり、荷物を預けあったりするご近所さんの存在がありました。子ども同士も当たり前のようにお互いの家を行き来して、濃密な人間関係がありました。

けれどそれは、時代の変化とともに消えて行きました。
きっと、それが支え合う関係であると同時に干渉し合う関係でもあって、「離婚」や「仕事の失敗」などが噂話となって、人を傷つけることもあったからだと思います。そんな濃厚な地域関係が嫌で、東京などの都会へ人が移り住み、そこで稀薄な人間関係を望んだのではないか、と私は考えています。

そして、その稀薄な関係性を実現したのが、生垣と縁側のある一軒家や、向こう三軒両隣的な長屋から、コンクリートの塀の洋風家屋や、マンションへの住居環境の変化。

そんな私の推測があっているかどうかは別として、今、すべきことは、ネオご近所さんの構築ではないでしょうか。

ネオご近所さんというのは造語で、これまでの地域のいいとこ取りをした新しいご近所さんをイメージしています。
つまり、お互いを支え合う関係はそのままで、ネガティブな噂話はせずお互いの多様性を認めあう、そんな理想的なご近所さんのことです。

遠くの専門家より近くの普通の人。

子育て家庭のすぐ近くの人たちが、その家族のことをよく知っていて、親とコミュニケーションが取れていて、親をサポートしようという雰囲気を漂わせていれば、だいぶ虐待リスクは減ると単純に思います。

先に挙げた児童虐待の予防要因の、●サポートし合う家族環境と社会的ネットワーク ●医療や社会サービスにアクセスできる状況 ●家族の他に、ロールモデル(お手本)やメンター(助言者)となる世話してくれる人がいる などは、地域づくり=ネオ近所さんの構築が成功することで手に入るものだと思います。

アドボカシー

アドボカシーとは、当事者ではなく、世の中に向けて広く当事者の代弁、養護をすることです。

 

私が、アドボカシーとして、もう、ほんとに長い間言い続けているのは、
「親を責めないで」
ということ。

親を責めたら、絶対に、児童虐待を減らすことにはつながりません。
声を大にして言いたい。
虐待死する子どもには、素敵な名前が付けられています。
これまで事件になってしまったどの子も、素敵な名前を持っていたでしょう?
どの親も、あの素敵な名前をつけた時、虐待死させようと思って子育てを始めたはずはないのです。

それが、これまで説明してきたような理由があり、逆に、これまで説明してきたような支援がなかったために、悲しい結果になってしまったのではないかと思います。

もちろん、児童虐待はあってはならない悲しいことです。

被害を受けた側に立てば、許しがたいことです。
その経験は、人生に渡って影響し続けてしまう。
憎いのは当然です。

けれど、被害者ではない人が、虐待してしまった人の背後を見ずに、あるいは、親が虐待に追い込まれる、社会的な構造を理解せずに、非難するだけでは、その状況は変わらない。

被害に憤るからこそ
次の虐待を防ぎたい。

「虐待する親は人でなし!」
と、世の中が親を批判することは、次の虐待の温床になります。

どうか、世の中の人々にそのことをわかってほしい。

どういうこと?

それは、こういうことです。

児童虐待が声高に非難されている様子を見たら、
虐待する(してしまっている)親は、
「助けて」が言えなくなります。
虐待を隠したくなります。
「これは虐待ではなくしつけだ」と自分を騙してしまいます。
「仕方ないことだ」と正当化してしまいます。

つまり、「虐待なんてすべきではない」という想いで発言することが、虐待を潜ませ、見えなくしてしまうという、発言者が望むのとは逆の効果を生み出しているのです。

きっとそのことに気づいていたら、正義の旗を振る人も、いたずらに批判なんてしない。
親を責める文化が完璧になくなれば、虐待通報は、子どもだけではなく、親をも救う手立てになると期待します。

次の虐待を起こしたくないからこそ、私は、「親を責めないで」と言い続けるのです。

だいじ

「おきない」を「おこす」。

子ども虐待対応の手引き
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv12/00.html
児童虐待の防止投に関する法律
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv22/01.html
(厚生労働省ウエブサイト)

mami
mami
ウイキペディアの児童虐待の記述も、だいぶ詳しく網羅されていますよー

児童虐待の基礎知識 その1では、児童虐待の基礎基本の解説、その2 では 児童虐待が起きる理由について、その3では 児童虐待の事後対応について、その4では、児童虐待の未然予防について、その5 では児童虐待のない社会を作る について解説します。