家族支援のいろいろ

アウトリーチ(出ていって届ける)と訪問型子育て支援

アウトリーチとは、自分たちの場所で待っているのではなく、必要な人にこちらから積極的に支援を届けるという考え方です。北米(カナダ、アメリカ)では、早くからこの実践が行われてきました。

……と説明していたのが2003年頃。その後、日本の子育て支援ゲンバでもアウトリーチの重要性は徐々に認識され、2019年には、国から虐待防止強化のためアウトリーチをという方向性が打ち出されました。

もし、アウトリーチが充実すれば、虐待防止、引きこもり解消、障害支援などさまざまに大きな効果が期待されます。
もう、それは、きっとみんなわかりすぎるくらいわかってる。
でも、アウトリーチはたいへんなんです。

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アウトリーチ訪問型支援

子育てて支援におけるアウトリーチとよく似たものに、訪問型支援があります。これもアウトリーチの内という考えもありますが、やっぱり、ちょっと違うかなあ。

アウトリーチ、もうちょっと詳しく

アウトリーチ、なんてカタカナで聞くと、支援の必要な人に出て行って届ける、なんて耳触りのいい解説を聞くと、とっても素敵なことに思えます。けれど、アウトリーチは、実際には、支援を必要と感じていない、支援を受けようと思っていない人のところに支援を届けるイメージ。
つまり、望まれていないところに行くわけなので、ゲンバでは、とっても厳しい状況が想定されます。支援する側もメンタルを強く持たないとできない感じ。届くための戦略もいる。

子育て支援は、ほとんどボランティアから始まり、制度化されることで仕事になっていった経緯があります。
支援を求めていない人の所へ無理やり通って……なんて、さすがにボランティアでそこまでできる余裕のある人は稀有です。だから、子育て支援団体は、どこも子育てひろばの運営と、来てくれる方への対応で精一杯。
必要とはわかっていても、がんがんアウトリーチを実践する子育て支援団体なんて、なかなかないです。

family supports worker
family supports worker
どこも細々とはやっているとは思いますけどねー。
mami
mami
そうですね。どうしてもほっとけない、ってね。

アウトリーチの成功の鍵

子育て支援分野のほか、社会福祉分野のコミュニティソーシャルワーカーや、古くからの制度である主任児童委員の方で、アウトリーチを実践してきた例をいくつか見聞きしたことがあります(大阪府豊中市の実践が有名ですよね)。

その人たちのありようや家族支援理論から導き出したアウトリーチ成功の鍵は、こちら。

・ぜったいに支援を求めてるはずっていう確信
アウトリーチと言えば耳触りはいいけれど、実際には「いらない」って言っている人の気を変えて、いつの間にか商品を買わせるような、やり手営業マン的活動。相手に拒否されても、めげずに手を変え品を変え向かって行くメンタリティが必要。そのバックボーンになるのがこの確信。

・なんとかしたいっていうおせっかい魂
どこかの子が引きこもっていたって、自分の人生にはなんの影響もない。それなのに家族支援者たちは「なんとかしたい」って思ってしまう。これはもう性分としか言いようがないですかねー。アウトリーチは、おせっかいじゃなきゃやろうと思わないかもですね。

・めげない明るさ
アウトリーチは、一歩間違えたら、想いが通じず、だいぶひどいこと言われたりすることもあります。それでもめげずに次の戦略を練れる明るさは、なによりの武器です。

mami
mami
私には、これが決定的に足りないんだよなー。拒否されるとすぐ落ち込んじゃう
someone
someone
いい歳こいて永遠に気の弱いガキだな
mami
mami
definitely

・家族支援の鉄則であるオーダーメード
ただ、出て行って届ければいいというものではないのです。支援される側のニーズにあった支援を届けなければ意味がない。経済的な困窮が喫緊の課題なのに、子育て方法をレクチャーされても、ねえ……。
だから家族支援はオーダーメードで、しかも職探し、家探しのような物理的課題から、パートナーとの関係や成育歴などの精神的な問題に至るまで、あらゆるニーズを、コミュニティ(その地域や人の集まり)のリソース(そこにあるもの)を使ってカバーする必要があるのです。

少しの成功例をのぞいて、日本全体としては、適切なアウトリーチは、ほとんど行われていないと言っていいと思います。
大変なしごとですから、人並み以上のお給料をもらってもいいと思うんですけどねー。
実際には、少ないギャラで、もしくはボランティアでやっているのですから、そりゃ、増えるわけがない。
国の方向性に従って、きっと、これから少しずつ、広まっていくのでしょう。というか、広まることを期待。

訪問型支援

一方、訪問型支援は、事前申込制。あるいは制度として設定されています。
つまり、アウトリーチは、支援される側からの依頼がない状態で行くのだけれど、訪問型支援は、お互い了解のうえで自宅を訪問する。
そこが大きな違いです。

たとえば、新生児訪問指導、乳幼児全戸訪問事業ホームスタート(家庭訪問型子育て支援)などが訪問型支援です。

これらは、すでに受け入れ態勢の整っているところに行くわけですから、アウトリーチより支援者のメンタルは穏やかでいられます。

訪問型支援は、どの事業も、訪問された側がとても喜ばれた例が多く報告されているのですが、それぞれに課題もある、と私は考えます。

まず、新生児訪問指導ですが、面識のない保健師や助産師が突然訪問すること自体に違和感を持たれる方もあり、また、何気ない一言で傷ついてしまった、なんて方もおられるそうで。
もちろん、保健師さん助産師さんはきちんと仕事をしてくださっていると思うのですが、突然、面識のない間柄で30分程度の訪問では、意思の疎通が難しい面もあるのだと思います。

次に、乳幼児全戸訪問事業。国の制度としては、ゲンバの状況を反映し、訪問者を「保健師、助産師、看護師の他、保育士、母子保健推進員、愛育班員、児童委員、母親クラブ、子育て経験者等から幅広く人材を発掘し、訪問者として登用して差し支えない。」(要研修)と規定しているのですが、これが市町村レベルになると改変され、「保健師、助産師」や、それプラス「看護師の他、保育士」くらいまでに限定されてしまっていることが多いのです。
国の規定をそのまま採用してくれたら、ご近所の先輩ママが訪問できるのに、と残念でなりません。ご近所の方なら、その後も顔を合わせて、制度を超えた日常的な関係作りにつながると思うのです。

最後にホームスタート。民間団体ですが、多くの自治体の委託を受けて、日本中にどんどん広まっています。
こちらは「支援の届きにくい人へ届く」ことを想定し、研修を受けた子育て経験者による複数回の訪問を受けられます。
とはいえ、訪問型支援ですから、申込んで、用紙を記入して、オーガナイザーに会って、という段取りは踏まなくてはなりません。

oba-chan from mami's book
oba-chan from mami’s book
ウチは書類なんていらん。ただ来ればいいの!
mami
mami
フツウはそーいうふうにはできませんよー。(フツーじゃない詳細は拙著をご覧ください)。

これからのアウトリーチ

IT時代のアウトリーチ

すでにIT、SNS(英語ではソーシャルメディアっていうらしい)の時代になってずいぶん経ちました。
ほとんどの親達がスマホをいじっている現実を考えると、ここにアウトリーチの種があるように思います。
各種SNSを利用しまくって、必要な支援の情報を当事者に届けるという発想が、もっともっと一般的になってもいいですよね。
顔の見えない関係からなら、むしろ支援も届けやすいかもしれません。
先進的な団体は、どんどんITを使った支援の方法を構築していると思いますが、子育て支援業界全体としては、まだまだです。
若い世代に、ぜひ頑張ってほしいと思います。

someone
someone
マミさんががんばればいいじゃん
mami
mami
もう若くないんですよー。教師稼業とサイト運営で精一杯です、すみませんー。

ネオご近所さんのススメ

実は私、日本にアウトリーチがなかったのは、日本が北米(カナダ・アメリカ)より子育て支援が遅れているからではないと思っています。

そうではなくて、一昔前までの日本は、「ご近所さん」という誇るべきリソース(すでにある、使えるもの、ヒト、場所というような意味)があったから、公的支援の必要性が、北米(カナダ、アメリカ)よりもともと薄かったのではないかと思うのです。
日本には、どの地域にもたいてい、濃密に世話を焼き焼かれる関係の「ご近所さん」がいたから、アウトリーチは必要なかった。
 
でも、もう日本でも、多くの地域で「ご近所さん」が消えて久しい。私くらい長く生きていると、昔と今の「ご近所づきあい」の違いが実感としてわかります。

余談だけれど、私の考える、濃密な「ご近所さん」が消えた理由をいくつか。

① 一軒家、長屋、アパートからマンションへ変わったこと
他の家の暮らす音や様子が見えなくなって、コミュニケーションをとる機会も必要性もなくなってしまった。
② 共働きや単身者が増えたこと
日中に家にいない人同士では、交流しようにも機会も時間もない。
③ コンビニや宅配が充実したこと
ご近所にお醤油を借りる必要も、荷物を預かってもらう必要もなくなった。
④ ご近所の噂話
お互いのプライバシーが丸見えで、離婚やトランスジェンダー、不登校や引きこもりなどは、差別や偏見、陰口の対象だった。 

 
 
地域がなくなった、つまりご近所づきあいが消えたというのは、支援者がよく嘆くことですが、上記の理由を考えれば、もうどうしようもなかったような気もします。
特に、を忌避したい人たちが地元を離れて、都会で「ご近所」のない暮らしを始めたという側面は大きいと思います。
そして、子育てや介護がないときは、それが快適だったのだけれど、いざ、それらが生活に入ってくると、個で生きるのが難しくなっていく…。

というわけで、
日本もアウトリーチが必要とされる世の中になってしまったのですが。

けれど私は思うのです。
われらが日本の古き良き慣習を、もっと大事にしてもいいんじゃないだろうか、と。

だって、家族支援の鉄則の一つは、リソースベースド
つまり自分たちの持っているものを最大限に生かすってことなんです。
だから、「ご近所さん」という日本の慣習を、もっと生かすことはできないだろうか。

というわけで、アウトリーチの普及よりも「ネオご近所さん」の出現を私は望もう。「ネオご近所さん」は今思いついた私の造語で、「ご近所」のダークサイドを捨てて良いところばかりを残した存在をイメージしてます。
 

family supports worker
family supports worker
シェアハウスとか居場所カフェとか福祉のコミュニティとか、局地的にはいろいろありますよ。
mami
mami
そうそう。地域密着の新しい展開、素敵ですよねー。その上、地域の人たちでは手に負えないケースを、すぐに家族支援や福祉制度で補完できたら最高だ。

大抵のことは「ネオご近所さん」でなんとかできるんではないかなあ。
陰口言ったり噂話したりしない、あったかい人たち。
困ったときはお互い様と笑って助け合える関係。

イメージしているのは、大島弓子の「あしたのともだち」や「ヨハネが好き」という漫画の登場人物たち。
もう何十年も時々読み返していて、読むと毎回、泣くんだよなあ。

また、ちょっと読んでこよう。