プロフィール

こんにちは、林真未です。
ここでは、私が家族支援職になるまでのストーリーを、詳しくお伝えします。

私が家族支援をする理由

私は、1989年に"女子高生コンクリート詰め殺人事件"に衝撃を受け、「こんな悲しいことを繰り返さないために、いったい自分になにができるのだろう」と悩み始め、100年前のイギリスの教育家、A・S・二イルの著書に出会いました。
そして彼の影響で、

mami
mami
幸せな人間は人を不幸になんてしない。だから悲しい事件が起きないようにするには、みんな幸せになればいい。じゃあ、私はそれを応援すればいい。
mami
mami
幸せな家庭(またはそれに代わるもの)に育てば、人は幸せになれるはず。つまり私は幸せな家族を作るお手伝いをすればいい。

と思い至りました。

もちろん、当時は、それが家族支援というものだとはわからず、また、それがお金を得られる仕事になるなんて露ほども予想できず、ボランティアのライフワークと思っていました。とにかく自分がやるべきこと、家族にとって大事なことなどを突き止めたくて、あっちで独学したり、こっちで集まりに参加したり、あるいは、子どものいる場所で働いてみたり。

若い私が、にわか勉強で、家族のこと、子育てのことを語る姿を見て、ある親が言いました。

anonymous parent
anonymous parent
子どもを産んだことのない人には、親の気持ちはわからないでしょう。

そこで、

mami
mami
そんなこと言うなら、産んだるわい!

と子どもを3人産み育てました。

その頃は、子育て支援がまだ整っていない時代。夫はワーカホリックだったので、今で言う、ワンオペ育児の苦しみをイヤと言うほど味わいました。そして私は家族支援に、もう一つの思いを抱くようになります。

mami
mami
子どもを産み育てるっていうヒトとして一番大切な営みをしている人がシンドいっておかしいでしょ!

というわけで、子どもを3人育てながら、ますます家族支援の勉強と活動にのめり込んでいったのでした。

家族支援学との出会い

のめり込んで10年が経ち、あっという間にもう30代半ば。気がついたら、支援の知識も活動も積み上がり、実力的には家族支援のスペシャリストに。けれど、なんの資格もない私の社会的立場は、ボランティア好きの主婦。
私は、

mami
mami
このまんまじゃ、ただのもの知りなおばさん。私の人生ってそれでいいんだろうか。

と焦り始めました。
そんな矢先に出会ったのが、カナダ・アメリカで展開されていた"家族支援学"。2001年、子どもたちが1歳、4歳、7歳のときでした。

その頃はまだ、系統だった家族支援学なんて日本にはなかったから(今もない?)、私にとって、カナダ・アメリカの家族支援学とそれに基づいた"家族支援職資格"の存在はこの上なく魅力的。だから、それが取得できるカナダ・ライアソン大学の通信教育(いわゆるeラーニング)に、英語もPCもおぼつかないにもかかわらず矢も楯もなく飛びつき、日本から無理やり(文字通り無理やり!)入学させてもらったのでした。
カナダ国内向けの通信教育に強引に入れてもらったので、当然、初めての外国人学生でした。

最初は、一行に3つも4つもわからない単語があって、到底続けられないと思いました。けれど、その学習内容は他では学べない目から鱗のものばかり。ぜったいにやめるわけにはいきません。
私は、周りの人たちに支えられ、3年かけてなんとか家族支援資格を取得しました。そしてなんと、卒業時には優秀な学生に送られるゴールドメダルの最終候補10人にも選ばれたのでした!

乳児+幼児+小学生を育てながらのドタバタ勉強の日々の様子は、「カナダ家族支援職資格取得日記」をご覧ください。

家族支援が仕事になった!

ちょうど私が資格を取得した頃に、いわゆる子育て支援が盛り上がり、日本中のあちこちで、家族支援は仕事になりました。私もその流れの中で、母親業の傍ら家族支援の仕事を始め、現在に至っています。

最初は、

local government worker
local government worker
マミさんの資格は、日本には規定がないから、結局「主婦」でしょ、そうすると謝礼3000円なんだよね…。大学講師とかさ、NPO法人の理事長とかさ、あればいいんだけど。

なんて言われて始まったんだったなー。(←当時家族支援学を系統だてて学んだ実績があるのは私のほうで、大学の先生をしている人たちは大学では違うことを教えつつ、子育て支援の講演会をやっているのにですよ!? いつも、制度は現実の変化の後に変わるから…。でも、この件は、私を応援してくださったある大学教授がかけあってくださり、特例で大学講師やNPO理事長並みのギャラになりましたが)

具体的には、母親や父親、祖父母のための公民館講座をしたり、子育て支援関係の支援者や行政職員、学生、先生等に家族支援を説明したり、行政・団体・企業の家族支援に企画参加したり、関係誌に原稿を書いたり、大きな講演会でお話ししたり…。そんなことをやってきました。
なにしろ前例がない仕事なので、依頼があれば、どんなことでもやりました。北海道に住んでいたときは、2時間の講座をするために、4時間車を飛ばして小さな町に行ったこともあったっけ…。

ファミリーライフエデュケーターって?

独学時代に、それこそ3ケタの数ほど子育て支援関係の講座、講演会に参加してきた、当時の尖がっていた私は、既存の子育て支援の講座や講演会は、結局、参加者一人一人に心を尽くしていないじゃないか、と強く憤っていました。

mami
mami
主催者がお茶を出すのは、講師じゃないでしょ? 赤ちゃんを連れて外出する労を覚悟してまで、この会場に来た母親達にこそ、おもてなしが必要。 
mami
mami
エライ先生のダラダラ話やどこかで聞いたような子育て指導を、聴きに来たわけじゃない。
mami
mami
子育てを上手くやりたいのに、上手くやれない、このもどかしさをなんとかしたいという思いに応えてくれる講座はないのか。
mami
mami
 集まった人達は、どんな人で、どんな意見を持っているのか。参加者同士の交流の仕掛けがあればいいのに。 

などなどなど。

それら聴く側として溜め込んだ不満をすべて解消してくれたのが、成人教育の手法を使った家族支援の1ジャンル、ファミリーライフエデュケーションでした。
参加者が主役としてもてなされ、来た人同士がいっぱいおしゃべりできて、情報も持ち帰れて、「来てよかった」と思えるもの。
人生のいろいろな場面において、臨機応変、様々な「学び」のかたちを使って、家族の幸せをもたらす試み。
それがファミリーライフエデュケーション。そして、ファミリーライフエデュケ―ターとは、そのような「学び」を演出できる人の事です。
私は、"日本で最初のファミリーライフエデュケーター"として、2003年にtrailblazer(=カナダの先生がプレゼントしてくれた、道を切り開く人という意味の英語)という個人事務所を設立し、仕事を始めました。

ただ、現在は、小さい頃の夢であった小学校教師になったため、trailblazerは開店休業状態です。
教師は最高の仕事です。けれど、できれば家族支援者としても社会に寄与したい。その思いが抑えきれず、このサイト運営を始めました。

ちなみに、ファミリーライフエデュケーターになるのに、資格は必要ありません。資格があるとCFLE(certificated family life educator←私の場合はこれになります)といって、少し信頼度が増しますが、カメラマンや作家と同じで、実力があって仕事があれば、資格がなくても名乗れます。(その場合はFLE=family life educator)

mami
mami
家族支援には段階があって、ファミリーセラピストとかカウンセラーとか精神科医は、心の傷を受けてシンドくなっちゃった後の専門家。ファミリーライフエデュケーターは、シンドくなる前にそれを未然に防ぐ仕事です。
mami
mami
ちなみに、成人教育的手法を使うのがファミリーライフエデュケーター、福祉的手法を使うのが、ファミリーリソースプラクティショナー(日本でいう、いわゆる子育て支援者)とかファミリ―ソーシャルワーカー(家族に特化したソーシャルワーカー)ですが、これらの仕事は三つ編みみたいに混ざり合っています。

家族支援を広めたい

1989年の私のあの衝撃から30年以上経つのに、子どもに関わる悲しい事件はくりかえされ、その度に胸が疼きます。
そして事件の度に、最小のコストで最大の効果が期待できる、家族支援の普及は急務、と強い焦燥感を覚えます。

けれど、家族支援は簡単ではありません。
中途半端な力で、想いだけで支援をしてしまうと、支援する側もされる側も傷ついてしまうことがあります……。
悲しい事件だけでなく、そんな支援もくりかえされないでほしい。

そのために、支援者は、日々、充分な力をつける努力をするしかない。
学び続けることは、家族支援のプロフェッショナルの最低条件。そしてプロの支援者として、家族支援の基礎や理論を踏まえてそれぞれの仕事をしてほしい。

というわけで、
どこまでお役にたてるかわかりませんが、私もかなりいい年になってきたので、今から死ぬまでの時間を使って、自分が培ってきたことを、このサイトを通じて、一人でも多くの支援者に伝えていきたいです。もちろん、私自身もまだまだ新しい学びに出逢いたい。
また、教師として、教育の世界にも、家族支援の考え方を広めていきたいと思っています。

林 真未 (はやし まみ)

好きな曲はクリープハイプ「イノチミジカシコイセヨオトメ」と神聖かまってちゃん「きっと良くなるさ」。マキシマムザホルモン「予襲復讐」は格別。(みんな息子と娘に教わった)

1964年生まれ
カナダ・ライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター/公立小学校教員(東京都教職員研修センター認定講師(家族支援)、東京都学校教育相談研究会役員)/特定非営利活動法人手をつなご理事
立教大学文学部卒/カナダ・ライアソン大学生涯教育部家族支援職資格課程修了/明星大学人文学部教員免許資格取得退学

連載
学びの場.com・教育つれづれ日誌
ハーバービジネスオンライン・あなたの知らない「子育ての話」

著書
「困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡」東京シューレ出版)定価1600円(税抜き)
※朝日新聞「天声人語」他、専門紙・雑誌等で紹介されました!

これまでの主な仕事
・子ども未来財団助成研究「妊娠期から2歳までの子どもと家庭への支援プログラム開発に向けての調査・研究」報告書・カナダの子育て支援の章・執筆/東京・生協総合研究所・子育て研究会にて「カナダの子育て支援と支援職」について報告/北海道・十勝管内社会教育主事等研修会・基調講演「子どもの幸せを育むもの」講師  ほか多数