家族支援のきほん

児童虐待の基礎知識 その3 児童虐待の事後対応

さて、では、哀しくも虐待の被害に遭ってしまった後、あるいは、はからずも虐待の加害をしてしまった後、子は、親は、どう立ち直ればいいのでしょうか。
また、第三者として虐待(またはその疑い)に出会ったとき、どう対応すればいいのでしょうか。

いずれの場合にも、大切なのは、レジリエンスという概念、と私は考えます。

レジリエンスとは回復すること。元に戻ること。詳しくは家族支援は、だれでもレジリエンス(=回復力)があると信じてる!をご覧ください。

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虐待からのレジリエンス

虐待が起きてしまったのは、哀しい事実だけれど、それをやみくもに責めたり嘆いたりしなくていい。ただ、レジリエンスを信じればいいのです。そして、なんとかしんどさをコントロールして、自分にオッケー出して生きていけるようになればいい。
ここでは、虐待の経験者にレジリエンスをもたらすシチュエーションを具体的に考えてみました。
まだほかにもあるとは思いますが、いくつか大切なものを挙げておきます。

その1 理論的理解

自分の幼少期に起きたこと、育ってきた家族のありよう、親の事情、家族のリスク因子と予防(強み)因子等について知り、起きてしまった虐待のメカニズムについてアタマで、理論的に理解することで、人は一歩前進することができます。

リスク因子と予防(強み)因子とは?

児童虐待が起きる危険性を、家族の状況をリスク因子と予防(強み)因子を使って分析する方法があります。リスク因子が多いと、そもそも虐待に至ってしまう危険が一般家庭よりも多いので、親の個人的な努力でカバーするには限界があります。逆に予防(強み)因子が多ければ、リスク因子をカバーできる。
これは予防の段階で使われるものですが、事後にも応用できると思います。
(詳しくは児童虐待の基礎知識 その4 児童虐待の未然予防wphご覧ください。)
つまり、自分自身でリスク因子と予防(強み)因子を自覚して、自分に起きてしまった虐待のメカニズムを把握するのです。

暗闇では何が起きたかわからないけれど、明かりと説明書があれば、なにが起きたのかを把握できるという感じです。
なにが起きたかをわかった後は、そのことを受け止め、怒り、哀しむ作業が必要です。

マイツリーペアレントプログラムという虐待をしてしまう親の回復のためのプログラムもあります。

その2 グリーフワーク

虐待を受けた人(してしまった人)がその経験を乗り越え、健全な精神を取り戻した状態になることを、虐待サバイバーといいます。
この状態になるために、必ず通らなくてはいけないのが、グリーフワークと言われています。

グリーフワークは、主に親しい人との死別の悲しみを乗り越える営みとして使われる言葉ですが、そもそも、グリーフは、悲しみという意味で、ワークは、仕事というより”すること・行為”という意味のイメージ。
つまり、直訳では、悲しみの仕事(行為)。

児童虐待について、理論的に理解し、自分に起きたことをアタマでわかった後、そのことを否定せずに受け止め、充分悲しむ。これもグリーフワークと呼ばれています。
これに寄り添ってくれるのが、ファミリーセラピストやカウンセラーです。
有資格者じゃなくても、グリーフワークに寄り添ってくれる人はいるかもしれません。

厄介なことに、有資格者だから、全員グリーフワークに上手に寄り添えるわけではありません。有資格というのは、勉強をして試験に通ったという意味で、生まれつき寄り添う才能があるとか経験を積んで上手にできるようになったという意味ではないので。
なかには、無意識に、自分の痛みをだれかの役に立つことで癒そうとしている専門職もいます。

逆に、専門的な資格がなくても、グリーフワークにしっかりと寄り添える人も存在します。
もちろん、専門的な資格の期待値通りに、しっかり寄り添ってくれる人もいます。

だから、グリーフワークに挑むときには、カウンセラー、心理士、精神科医という肩書ではなく、その人そのもののありようをよく見て、寄り添ってもらう人を決めることをお薦めします。

なお、この作業は、だれかの無償の愛を受けている状態だと、よりスムーズです。

その3 無償の愛

虐待を受けて育った人にとって、パートナー選びはとても大切です。
もし、相手が虐待とは無縁の、本来的な温かい家族に育まれたひとだったら、その人は幸運です。そういう人は、専門的な知識なしに、自然体で愛する人の傷を包み込んでくれるでしょう。しんどさを経験した人だったとしても、サバイバーとして立ち直っていればきっと大丈夫。
とにかく、虐待の傷を癒すには、深く継続的な愛情が必要。
虐待の傷が深いと、なかなか愛情を信じられません。
なんども相手の愛情を試すような行動をとってしまいがちです。
それに揺るがず、無償の愛を与え続けてくれる人がいることで、虐待を受けた人は自己肯定感を取り戻していけるのです。

もしも、同じような傷を持った者同士が一緒になってしまうと、どうしても、与えるより欲してしまい、無償の愛を与えたり、自己肯定感を回復したりすることは難しいかもしれません。
ただ、これも絶対ということはなく、お互いの相性やいろいろな要素が絡むので、つくづく、一般論では語れないのです。

大人になってからのパートナーだけでなく、子ども時代の養育家庭や施設、居場所、育つ過程で出会う友人知人、ご近所の人、あるいはカウンセラーなどが、無償の愛を与え続けてくれることもあるでしょう。
虐待サバイバーになるための機会は、その気になれば、きっとたくさん見つかります。というか、なんとか見つけてほしいです。

時には、こんな悠長なことを言ってられないケースもあるでしょう。今まさに虐待の渦中にあったり、虐待する側に精神疾患や知的障害、あるいは幼少時の過酷な環境が絡んでいたり、あるいは虐待された側にそのような症状が出てしまっていたりする場合は、なかなか一筋縄にはいきません。そのへんの実例については、著書「日常生活支援サポートハウスの奇跡」をご覧ください。
mami
mami
だれでも、きっと、なにかしらの痛みを抱えて生きている。
虐待サバイバーはどんな専門家より、虐待に傷つく人に共感できるを得たひと。
過去は取り返せないけれど、そのとともに、未来を紡いでほしいです。

虐待(の疑い)に出会ったとき

第三者として虐待に出会ったとき、まだまだ「なんて親だ!」という非難めいた感覚を持つ人の方がマジョリティかもしれません。
でも、どうかレジリエンスの概念を手放さないで。
今、その加害者は、なんらかの抑圧によって加害の立場にいるかもしれないのです(おそらくこれはほとんどのケースにあてはまります)。
被害者が、加害者に対して赦せない思いを持つのは当然のことです。
そしてその被害を聞けば聞くほど、普通の感覚を持った人なら憤りを抑えきれないと思います。
けれど、支援者としては、虐待対応は、子どもだけではなく親をも救う営みであるという考えを、絶対に手放さないでください。

私は予防のほうのプロフェッショナルではありますが、虐待に直面した時、あるいは虐待が疑われた時、支援者として、あるいは市民の一人としてできる方法について、私なりに考えてみました。

児童相談所等の機関に通報する?

虐待を疑ったらすぐに「189」に連絡を。
というのが、盛んに言われています。
このダイヤルがあることは、支援者として絶対に知っておかなければなりません。

ただ、通報がうなぎ上りで増えているのに(警察が通報するようになったのがこの急増に影響しているらしいです)、児童相談所をはじめとする福祉的リソースが大きく拡充されたわけではないので、結果、「189しろ、しろ!」と喧伝する一方で、受け手側がすでにパンク状態という状況があります。
そのため、軽微な兆候では、十分な対策が取れないおそれもあるし、通報後の状況については通報者に知らされないので、通報したとて、その後どうなったのかはわかりません。
民間の支援者からは、「公的機関に通報した後も、地域で見守りつづけたいのに、その後の状況や情報がわからない」という声を聞きます。
もちろんこれは地域差があって、官民協働がうまくいっているところもあると思います。

mami
mami
「189」がなかったころに比べれば、その存在は本当に大きい。ただ、これを頼らずとも地元の力でなんとかできたら、っていう夢もありますよね。

直接的アプローチ

虐待を疑われる家庭に、直接訪ねていくという選択肢もあると思います。
「なんて親だ!」と思っていたり、普段のお付き合いがなかったりするとこの選択肢は選びにくいでしょうが……。
けれど、虐待対応は、子どもだけではなく親をも救う営みであるという考えを強く持っていれば、この方法が自然と選ばれるように思います。
たとえ見ず知らずのご家庭でも、虐待について聞くというアプローチではなく、なにかきっかけを探して知人関係を作るところから始める。そしてつながりを途絶えさせないで、おつきあいし続ける。そうすれば、きっとそのうち、支援のチャンスが見つかります。
「対等で親しい関係の上に支援は成り立つ。」のですから。

日本においては、これは本来、児童委員、主任児童委員と呼ばれる人の仕事かもしれません。子育て家庭の見守りや相談は彼らの役割ですから。でも、正直、私自身、地域で3人の子を産み育てたけれど、児童委員にも主任児童委員にも、一度もお会いしたことはありません。一方、地域で熱心に活動している主任児童委員・児童委員の方も知っています。地域や人によって活動内容が大きく違うようです。自分の地域の担当者がどのような方か知らないのなら、出会って相談してみるのも一つの方法ですね。

急がば回れ。

保育園、学校、保健所、子育てひろば、児童館等との連携

地域の子どものいる家庭が繋がる場所に、思い切って訪ねていくこともアリだと思います。
虐待を疑われる家族が繋がっていそうな場所に、率直に直接相談を持ちかけるのです。
こういった機関は、どこも、突然素性の知れない人が尋ねてきたら絶対警戒します。
けれど、素性と事情を話して、具体的な心配を相談すれば、必ず理解されると思います。
この、どこもが、子どものために働く人達のいる場所ですから。

万が一ダメならあきらめればいい。
そのくらいの気持ちで、どんどん訪ねていってほしいです。

支援体制の構築

ご本人や、取り巻くリソース(児童委員、保育園等)、そしてご近所など、フォーマル(公的機関や民間団体)、インフォーマル(地域住民やボランティア等)と関係性ができ、手を取り合って応援体制がとれたら理想です。

虐待対応では、当事者を抜きにして関係機関の会議が行われるのが常ですが、もし私が虐待加害者であったとしたら、それは身をよじるほど嫌だなあと思います。私の事なんだから、私にも会議に参加させてほしい。せめて、会議する前に「これからあなたのことを応援する方法を一所懸命考えるからね」って言ってほしい。終わったら報告してほしい。虐待をする親は厄介な人間で、私達は専門職って思ってるからこの図式が成立すると思う。実際、精神障害や発達障害があってコミュニケーションが難しい場合もあるだろうけど、きっと専門家の皆さんに叱られるだろうけれど、私は、支援は当事者とともに考えるべきだと思っています。

子ども虐待対応の手引き
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv12/00.html
児童虐待の防止等に関する法律
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv22/01.html
(厚生労働省ウエブサイト)
mami
mami
ウイキペディアの児童虐待の記述も、だいぶ詳しく網羅されていますよー

児童虐待の基礎知識 その1 では、児童虐待の種類について、その2 では 児童虐待が起きる理由について解説しました。その4 では、児童虐待の未然予防について、その5 では児童虐待のない社会を作る について解説します。