家族支援のきほん

”自己肯定感”についてわかっておこう

自己肯定感についてわかっておこう。
と書きましたが、私が教えるわけではないですよ。

それぞれが自分のアタマでうんうん考え、納得解を持っておこうということです。

自己肯定感とかそれに類する言葉で表されるアレは、子どもが善く育つために、または人が幸せな人生を送るためになくてはならない概念なので、家族支援者としてはゼッタイおさえておかないといけないのでね。

a reader
a reader
で、アナタの納得解はなんなのよ。
mami
mami
はいはい、今から説明しますよー。

自己肯定感って

国の研究所の文書から学校現場の指導案や民間のセミナーに至るまで、「自己肯定感を高めよう」と四方八方で使われているのだけれど、

正直、それを目にする度に、

mami
mami
なーに言っとるんじゃい! 自己肯定感は高めるものじゃないよ!

って、パンクな私が顔を出してしまいます。

だって、自己肯定感って「生きてるだけでいい」って心から感じられている状態のことでしょ?
それって、高めるもの???

私は、「自己肯定感」は、オギャーと生まれたその時に、もともと人間に存分備わっているもので、むしろ、それが成長するにつれて削がれていくと考えます。

赤ちゃんが、自分の存在を否定していたり、悩んでいたりするの、見たことありますか?
彼らは、自分が生きるための欲求を、いつも全身で訴え、生きる歓びを、いつも全身で味わっているじゃないですか。

それがいつの間にか、「自己肯定感が低い子ども」とやらに育っているってどういうこと?

私には、もともとあった自己肯定感が削がれていったとしか思えない。
だから後付けで高めるものなんかじゃない。
しいて言うなら、「修復する」と表現すべきだ!と思っておるのですよ。

そして、自己肯定感のある子どもに育てたかったら、自己肯定感を損なわない子育てをすればいいわけで。
それはどういう子育てかと言うと、こちらをご覧くださいませ。
念のために付け加えますが、「自己肯定感を損なわない」と「甘やかす」は、一見似ているけれど決定的に違うので、絶対間違わないようにしないといけません。

そして、こちらの記事で書いているように、これがなかなかに難しい(私も失敗しました)……。

だから結果的に、自己肯定感の低い子どもが巷に溢れてしまうのですよね……。
そうなると、「修復」についても考えておかなくちゃダメかあ……。

自己肯定感を修復する

肯定のシャワー

おそらく、なにもできなくても、いるだけでいいとか、あなたがいてくれるだけでうれしいとかいうメッセージを、繰り返し与えられることが必要なのだろうと思います。
きっと、それまでの人生で、存在を脅かされる経験をしたり、「……じゃなきゃダメ」「……なら認める」と条件付きの肯定を浴び続けていたりしたのでしょうから。

そしてこのシャワーは、結構な量じゃないと、そして、結構な期間じゃないと、効かなかったりするんですよね……。

つくづく、予防の大事さを思い知ります。世の、親をはじめとするすべての子育て者に、自己肯定感を損なわない子育てを頑張って欲しいですねえ。
損なわなければ修復する必要もないんだから。

学校と自己肯定感

ついでに言っておくと、よく学校の校内研究テーマに「自己肯定感を高める授業」とかあるんですけど、「それも違うでしょう」とヒソカに思ってます。

a reader
a reader
いちいちめんどくさいやつだなー
mami
mami
だってこれが私なんだからしょうがない(自己肯定感笑)。

だって、学校は子どもに「もっと成長すること」を求めている場所。
学校が右手に「もっとがんばれ」を持ちながら、左手で「そのまんまでいい」を差し出すなんて、矛盾そのものではないですか。

私は、学校は自己肯定感を高める場所ではなくて、自己肯定感に満ちた子どもが、次に必要とする場所だと思っています。
子どもは、すくすく育っているなら、自然の成り行きで、「もっと知りたい」「もっと育ちたい」と熱望するはずです。
そして「そんなに言うなら教えてあげる」と、それに応えるのが、学校の本来の役割だと思っています。

mami
mami
学校が、大人が、先回りしすぎると、子どもが「学ぶ喜び」を奪われるんじゃないかなあ。

最終的には気にしない

今まで語ってきたことを思いっきりちゃぶ台返しするみたいで恐縮ですが、ワタクシ、ホントの本音では、実は、

mami
mami
自己肯定感とか、もーどーでもいい!

って思ってます。

家族支援界隈で仕事をする以上、「自己肯定感」について“わかって”いることは必要です。だから、上記のように、ちゃんと自分なりに考えてますけど、でも一方で、それに囚われすぎる必要もないと思っているのです。

だって、ニンゲン、自分の与えられた状況やスペックで、もがきくるしみながらも、やっていくよりしょうがないんだから。

それをさ、「自己肯定感が低いから」とかいろいろ言って悩んでてもしょーがねー、低いなら低いままやっていったって、それも味のある人生ではないかと。

もちろん、自己肯定感と言うキーワードで紐解ける問題も有ると思います。
ただ、用語や概念で、状況を把握できて助かることもあれば、逆にそれを知ったがためにそこに拘りすぎて邪魔になることもあるんじゃないかと思うのです。

a reader
a reader
結局なにが言いたいのよ?
mami
mami
自己肯定感がどーであろーが、そのひとなりにそこそこやっていければ、それでいーってことよ。

いーんかい!