「パワーとエンパワーをわかるのは家族支援の基本中の基本だよ!」とは、家族支援の生き字引(遠慮深すぎる人なので、こういう言い方をすると絶対本人は怒りますが)、盟友Tさんが、ある時はつくづく、またある時はしみじみ、繰り返していたセリフ。
というわけで、ちと難しいけれど、
パワーとエンパワーの解説に挑戦します。
Contents
パワー
自分の持っている見えない社会的パワーについて
人は見えないパワーをそれぞれ持っています。
家族支援職資格課程では、こんなワークシートを使って、自分の持っているパワーを自覚させられます。
↓クリックすると別窓でPDFファイルが開きます。
ワークシート「パワーフラワー」ライアソン大学テキストより
ここで青が多ければ、支援者は、自分が社会的強者であることを自覚しなければいけません。
とくにカナダの家族支援の対象者は、パワーフラワーが真っ赤になって、がっつり社会的弱者であることが多いです。
この、支援する側とされる側のパワーバランスを自覚せずに支援をしてもうまくいきません。
対等で親しい関係の上にこそ、支援は成り立つのですから。
このパワーの問題を踏まえて「対等で親しい関係からはじめる。ぜったいに」をもう一度読んでみてください。
拙著の主人公で、支援者である「おばちゃん」は、学歴も資格もなく、女性で、さらに障害児の親というマイノリティでもあります。
だから「おばちゃん」の場合は、支援する側とされる側のパワーバランスがよく、対等で親しい関係が築きやすい。支援者としてもう、存在自体にアドバンテージがあるのです。大卒でたいした苦労もなく育った私は、逆立ちしても勝てません笑。
この考え方をベースに、カナダの子育てひろばは、資格があるかどうかより、離婚歴があったり移民だったりするかどうかで採用を決めたりもします。保育士や支援職の資格があるかどうかより、ひろばに来る人と共感力が高い人の方が、採用されやすいというわけです。
パラダイムシフトってやつです。
もし、あなたがネガティブな体験を持っているなら、それは家族支援者としての資質があるということなのです。
コミュニケーションにおけるパワーについて
たとえ支援される側と
同じ社会的弱者の要素を豊富に持っていたとしても、
自分のパワーをコントロールして対等な関係が築けたとしても、
上から目線だったり強めに自分の意見を主張したりするコミュニケーションの方法が染みついている人は、家族支援のプロになるためにそれを払拭しなければなりません。
対等なコミュニケーションについては、アサーティブジャパンの考え方が参考になると思います。
前提として対等で親しい関係があり、その上で、お互いを尊重し合うコミュニケーションをする。
この二段構えのパワーバランスが、家族支援のプロには求められます。
パワーオーバーとパワーウイズ
パワーオーバーとパワーウイズという用語があります。
パワーオーバーとは、一方のパワーがもう一方を圧倒している状態のこと。
パワーウイズとは、双方のパワーとパワーがうまく合わさり、相乗効果を持っている状態のこと。
これは支援者と被支援者だけでなく、人間同士の関係性のどれにも言えることで、たとえば家族メンバー同士(ex夫と妻)にも当てはめて考えられます。
もちろん、パワーウイズの関係性が望ましい。
特に家族支援者は、自分の状態がパワーオーバーかパワーウイズかに、絶えず敏感でなくてはなりません。
そしてもちろん、パワーウイズの状態を目指して支援をしていきます。
エンパワー
人はだれかをエンパワーすることはできない
エンパワーという言葉が意味することは、自分の持っている力を最大限発揮していくこと。
そして、人はだれかをエンパワーすることはできないのです。
家族支援職資格課程のテキストで、この一文を目にしたときのコトは、今でもまざまざと覚えています。
それまで
「◯◯さんにエンパワーしてもらった。」
とか、
「落ち込んだ人をエンパワーするために、」
とか、
そういう言い方をよく耳にしていたから。
エンパワーは、本人しかできないんですよ、みなさん!
家族支援とエンパワー
馬を水辺に連れて行っても水を飲ますことはできないという例え通り、エンパワーさせることは不可能で、その人自身がその意志を持たなければエンパワーは起きない。
支援者にできるのは、その人がエンパワーできるような環境を整えることだけ。
確かに、水がどこにあるかわからなければ、馬だって水が飲みたくなっても飲むことはできないですもんね!
とはいえ、家族支援者が支援する相手は、水を飲みたい馬ではないから、水辺に連れて行けばそれですむなんて、そう簡単にはいかない。
相手は、それぞれにそれぞれの事情を抱えた生身の家族。
だから、支援はオーダーメードでしかあり得ない。
しかも、なにがいいのか試行錯誤で、どれがハマるかも未知数。
家族支援理論がセオリー通り効果を発揮することもあれば、理論とは無縁の誠心誠意が功を奏すこともあるし、偶然の出会いや思いがけないことが、きっかけになることも。
こちらが恥ずかしくなるくらい感謝の嵐を浴びせられることもあれば、逆に、支援した相手からこちらの苦労など全く分かってもらえす、逆恨みされることもあります。
家族支援が労多い仕事というのはこういうところ。なにがベストかわからないまま、時には思いがけない仕打ちに傷つきながら、それでも誠意を尽くすしかないのです。
パワーとエンパワーは家族支援の基本中の基本だよ!
支援とは、自分で生きて行く力をつけるのを助けること。支援する相手を依存させては失敗です。
ここでいう依存とは、自立と相対する依存のこと。自立に必要な依存ではありません。
誰かに寄りかかって、そして寄りかかられたほうもそれを生き甲斐にしていることと、まず自分の力で生きていく意思があって、必要な支援を活用することとは、似ているようで全然違うのです。
しんどい状況の中でも、なんとかその人の環境や認知を調整することで、その人自身が自分で生きていく力を持てるように。
もしパワーバランスが悪いとそれは実現しません。
自分よりパワーのある人を目の前にしてしまったら、自分にパワーがあるとは思いにくいです。
だから対等で親しい関係つまり、パワーバランスの良い関係を持つことが、まず効果的な支援を実現するベース。
そしてその上で、
八方塞に見えた環境や人間関係を調整すること(福祉的アプローチ)。
考え方、コミュニケーションの方法、物事の捉えなどをリセットして、新しい捉え方ができるようになること(教育的アプローチと心理療法)。
その二つのアクションをする。
それが功を奏すれば、人はエンパワーします。
言いかえると、阻んでいるものを取り除けば、人はおのずからエンパワーしていくのです。
こう書くと、たった数行ですが、現実はそう簡単にはいきませんよね……。