家族支援のいろいろ

「子ども食堂」というワードの魔力

子ども食堂とは?
・子どもやその親、および地域の人々に対し、無料または安価で栄養のある食事や温かな団らんを提供するための日本の社会活動(ウィキペディアの記述)
・こどもが一人でも安心して来られる無料、または低額の食堂(名付け親・近藤博子さんの定義)

子ども食堂は、新しい支援の形として瞬く間に全国に広まりました。
その理由は、なんと言っても「子ども食堂」という魅力的なワードの魔力が大きい。でも……。

Contents

子ども食堂をめぐる、あるストーリー

子ども食堂、やりたい!

ある母親が、たびたびニュースで伝えられる子どもの貧困、ネグレクト、孤食等に、同じ子どもを持つ身として心を痛めていた。
でもだからといって、自分にはどうすることもできないと思っていたころ……。

子ども食堂やらない?」

と声をかけられ、一も二もなく飛びついた。

「むずかしい活動はできないけれど、お料理をして食事をだして、子どもが楽しんで食べてくれる。そんな活動なら私にもできるかも」

同じ気持ちで集まった有志で、子ども食堂が立ち上がった。

地域にポスターを貼り、SNSで呼びかけ、近隣の学校にもチラシを配ってもらい、初回は会場にあふれんばかりの親子が集まった。
それは嬉しいことだったのだけれど、用意した量が足りず、集まってくれた全員に食事をふるまうことができなかった。

そこで、次の週にはたくさんの食事を準備した。
けれど、思っていたほどの人は集まらず、今度は食材が余ってしまう。

その次の週に、減らしてみると、今度はたくさんの人が集まって……。

試行錯誤が続く。

予約不要から予約制へ

「予約制にすればいいんじゃない?」

誰かが言った。
たしかに。限定30食の予約制にすれば、毎回、食材調達量に悩まなくて済む。

「開催時間内なら、だれでもいつでもどうぞ」と謳っていた子ども食堂は、こうして、電話またはメール予約をしてもらっての再スタートになった。

「子どもがふらりと予約なんかしないで来るのが、子ども食堂なんじゃないだろうか? これでいいのかな?」

母親は、チラッとそう思ったけれど、でも仕方がない。毎回食材の扱いには苦労している。
それに、30食限定でも、やらないよりやった方がいい。

とにかく、食べに来た子どもの笑顔を見たら、きっと、
「やってよかった」
と感じるはず。

週1回から月1回へ

そうこうしているうちに、今度は、毎週の開催がしんどくなってきた。

「お兄ちゃんが受験で」
「実家の母の具合が悪くなって」
「仕事が忙しくなって」

それぞれの事情で活動メンバーがひとり、またひとりと減っていったのだ。

残っているメンバーの負担は日増しに増える。
最初はふんだんに集まっていた資金や物資の援助も減っていく。

最近は、食べに来る子の顔ぶれも同じになってきている。
この子たちは貧困の子ではない。むしろ裕福な方かもしれない。
ただ、親が忙しくて夕飯を作れないから、かならず予約を入れてくるのだ。
でも子ども食堂がない日には、親達はなんとかやりくりして、早く帰ってきている。

かつて、子どもに淋しい思いをさせたくなくて仕事をあきらめた自分が、子育てより仕事を選んだ人の肩代わりをして、子どものご飯を毎週せっせと作っている状態。
「私は、働く母親の支援をしたかったのだろうか?」
なんだかわりきれない。
口には出さないまでも、他のメンバーも同じ気持ちだったのかもしれない。

「月1回にしようか」

誰かが言った。
考えてみれば、全国で活動している子ども食堂の多くが、月に1~2回の開催だ。
最初から、週1回に無理があったのだ。

そうしよう。
それだって、やらないよりはずっといい。

学校の先生からの、辛い一言

母親は、月一回開催に変更したチラシを、学校で配ってもらうため職員室に持っていった。

たまたま、娘の担任の先生に出くわしたので、
子ども食堂、よろしくお願いします」
とチラシを一枚渡して声をかけた。

先生は受け取ったチラシを見て、こう言った。
「ああ、月一回になったんですね……よかったです」

よかった?

母親は不思議に思った。
趣旨からいえば、子ども食堂の回数が減って、いいわけないのに。

「どうしてですか」

聞くと、先生は、言いにくそうに答えた。

「すいません、実は、子ども食堂に行けない子がね、チラシをもらうたび哀しそうだったから……」

夕食を提供する子ども食堂が開いているのは、学校で決められた帰宅時間を過ぎている時間帯だ。
だから、その時間帯に子どもが出かけるには、親と一緒か、親の許可が必要になる。
子どもが1人で、自分の判断で、帰宅時間のルールを破ってそこに行くのはハードルが高い。

予約が必要になってからは、ますます、子どもにとって子ども食堂の敷居は高くなった。
学校からの配布物を確かめない親の子、携帯電話をもたない子、ネグレクトの子など、
本来、子ども食堂がターゲットにしている子どもが、自らの力で、子ども食堂に予約を入れるのは難しい。
予約制の子ども食堂に行くのは、情報に敏感で、予定を立てて行動したりきちんと予約を入れたりできる親の子どもだけ。

先生は、チラシを配るたびに
「やったー、子ども食堂だ。ママに言っておこう」
「いいなー、俺行けないもん」
「なんで」
「わかんない」(本当はわかっているけれど誤魔化している)
という会話を耳にしていたのだ。

だから、その、行けない子どもの哀しみが生まれる頻度が、週1回から月1回になったことを知り、先生は、思わず安堵の言葉を口にしてしまったのだった。

毎日提供しなければ意味がない

「一所懸命やってきた子ども食堂が、本当に届きたい子ども達の哀しみを生む原因になっていたなんて……」

母親は、先生の言葉に打ちひしがれた気持ちのまま家に帰った。

なにげなくテレビをつけると、ちょうど、情報番組の中で、子ども食堂のことが話題に上っていた。
子どもの貧困に詳しいらしいコメンテーターが、ある取り組みを絶賛している。

「わざわざ子ども食堂と名付けなくても、こういうことこそ必要ですよね」
子ども食堂って言ったって、実態は、ほとんど、月一回開催ですから、あまり子どもの貧困対策にはなっていないんですよ」

絶賛されていたのは、ある小学校を舞台にした朝食提供サービスだった。
どこかの小学校で、地域の人たちが、毎朝、朝食を用意して、必要な子に提供しているという。
子どもはだれでも、登校した時におなかが空いていれば、家庭科室に立ち寄って、この朝食を食べられるのだ。

その活動の代表者は「どの子にも毎日提供できなければ意味がない」と主張し、学校もボランティア仲間も説得し、その熱意がやがてたくさんの人を動かし、毎日、学校内で朝食提供することを実現したという。

「確かに、このやり方なら、誰も悲しませることもないし、子どもの貧困にもネグレクトにも、効果がある……」
自分がやってきたから、毎日活動することが、どんなに大変なことなのか、痛いほどわかる。
この代表者の熱意と実行力には驚くばかりだ。
だけど、月一回の私達の実践だって大変なのに、コメンテーターに、あんなふうに言われちゃうなんてな……。

母親は無性に悲しくなった。
ただの母親だった自分が、ネグレクトや、子どもの貧困、孤食をなんとかしたいと、それなりに思いをこめて頑張ってきたことは、無駄なことだったのだろうか。

「こんな気持ちになるくらいなら、子ども食堂なんか、やらなければよかった」

mami
mami
ちょ、ちょっと待って! どうすればよかったのか、一緒に考えるから! 支援のやり方はその人によって違っていいんだから!
実はこれ、虚実を取り混ぜた架空のストーリー。ただ、現実の子ども食堂のスタッフが直面している問題に、当たらずとも遠からずではないかと思うのです。でも、せっかくなにかをしたいと思った人が、こんなふうに途中でつまづくのは切なすぎる。というわけで、子ども食堂問題を、真っ向から考えてみました。

「子ども食堂」というワードの魔力

できることを整理しよう

家族支援学では、子ども食堂のような実践を含む様々な地域のアクションを、大小ひっくるめて一律に「プログラム」と呼びます。

本来、家族支援プログラムというのは、
①解決したい地域課題があり、
②それに対する効果的なアクションがなんなのかを考え、
③今あるリソースの範囲でできることをするものです。

ここでは子ども食堂の大多数である月1~2回予約制スタイルを想定して、論を展開します。

現行の多くの子ども食堂のプログラム内容は、
月に1回、予約した人達で集まって、食事をすること。
もし、解決したい地域課題が、子どもの貧困やネグレクト対策だとしたら、明らかにプログラム内容が見合っていません。フラットに考えて、月に1回の食事が、この問題を解決するとは思えない。
おそらく①②③の順番で論理的に導かれたプログラムではないからだと思います。

もちろん、解決の糸口が見つかることはあるかもしれません。
地域の大人と子どもが一緒に食事をすることに、意味がないわけではない。
きっと素敵な出会いもあるでしょう。

だったら、それを明確にすること。できることを整理すること。

子ども食堂というワードの魔力は、たとえ月一回でも子ども食堂をすることで、子どもや社会に寄与している感覚が生まれてしまうこと。
けれど実際にやっていることは、月に1回、予約した人達で集まって、食事をすること。
この事実の上に、一般的な子ども食堂プログラムがカバーできる課題を、自覚し直すことが必要だと思います。

具体的なニーズがあるから支援が生まれる

そもそも、初期の子ども食堂の担い手の方たちのインタビューを掘り起こすと、まず、具体的に支援したい子どもの存在があるんですよね。
顔の見えるあの子をなんとかしたい。
というスタートから、自分達のできる範囲でやれることを探し、子ども食堂的な活動が、必要に迫られて生まれている。
家族支援学なんか知らなくても、前項で述べた①②③の手順にちゃあんと叶っているんです。

ここが、後発の「来てほしい子どもが来ない」と悩む子ども食堂との大きな違いかもしれません。
でも、”顔の見えるあの子”がいないまま、子ども食堂を始めることが悪いわけではないのです。
ただ、子ども食堂というワードにまどわされず、くりかえしますが、そのアクションがなにを実現できるのか、自覚する必要があるということ。

たまに、地域住民が集まって、愉しく交流する。
それだけの目的でもいいではありませんか。

family supports worker
family supports worker
最近始めたところのなかには、すでに、子どもの貧困、ネグレクト対策的な発想の面影はなく、多世代交流という目的もなく、ただ、予約した親子が集まるだけのサービスもあるようですよ。
mami
mami
いやもうそれは、支援じゃなくてただのイベントじゃね?

「子ども食堂」は食堂か?

個人的には、月1回実施の子ども食堂は、子ども食堂というより、食事つきミーティングとか月イチ食事会とかと言ったほうが、実情に合っているような気がします。

食堂って言うと、予約なしでいつでも行けて、ご飯が食べられるところというイメージがありますから。

mami
mami
「子ども食堂やってます!」って聞いて、わーステキって思って詳しく聞くと、月一回なんですーとか、予約しないとダメなんですーとか言われて、正直、がっかりしちゃうんだよねー。事情は分かるんだけれどもさ
family supports worker
family supports worker
まーたしかに、食事会でーす、って言われたら、月に一回なのも予め申し込むのも、違和感ないわなー
mami
mami
そうそう。「子ども食堂」って言われちゃうとさ、どうしても、子どもがだれでも気軽に行ける食堂をイメージしてしまうのよ……

もう一つの魔力ワード「だれもが集える居場所」

ネットをググると、子ども食堂のポジティブなエピソードもあふれています。多世代交流、孤食の防止、地域の居場所、新しい出会いetc etc……。たとえ子どもの貧困やネグレクトに寄与していなくても、別の意義はあるのだ、といろんなサイトが説いています。

そして、子ども食堂をしている人だけでなく支援者の多くが口にするのが、
だれもが集える居場所にしたいんですー」
という言葉。

居場所」というのも、支援者には非常に魅力的な、キラーワード。

ただ、1年365日24時間、自宅と人生を開いて、困った人にを提供し居場所を実現してきたおばちゃんの実践を目の当たりにしてきた私としては、

mami
mami
(支援の場としての)居場所づくりは、そんな簡単なもんじゃないよ!

とつい口を挟みたくなってまいます。

「だれもが」の中には、精神障害の人も、ホームレス状態の人も、入っていますか。」
「日付を指定して、時間を区切って、それが「居場所」と呼べるのですか。」

そんな意地悪な質問をしたくなってしまうのです。

だって、本気でだれもが集える居場所」を実現するのは、覚悟のいることです。並大抵の苦労じゃない。詳しくは⇒「困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡」

mami
mami
私にはとってもできません

でも、しつこいようだけど、できないことは悪いことじゃない。
それぞれ、自分のできる範囲で、だれかの役にたてばよいのです。

だからどうすればいいのよ!

四の五の言っていても仕方ないので、さしあたって、できる範囲で具体的になにをすればいいのかを考えました。

もしもあなたが子ども食堂の実践者ならば、

なんとか、予約不要 は実現してもらえませんか。
予約が必要だと、行きたい子が、行かせたい子が、行けません。
予約不要で実践している子ども食堂もあるので、不可能ではないと思うのですが……。

開催時間を夕方早めに設定してもらえませんか。
夕焼けチャイムの前だったら、子どもは、子どもだけで子ども食堂に行けます。
出すのは、夕食ではなくおやつでもいいと思います。

もしもあなたが子どものためになにかをしたいのであれば、

小学生くらいの子どもたちが今一番必要としているのは、居間です。
公園ではゲーム禁止、カードも持っていけない、お菓子も食べてはいけないと言われています。
大人がいない家で遊んではいけないとも言われています。
家の中で遊ばせないという親もいます。

そのため、友だち同士でゲームやカードをしたり、おやつを食べたりする場所に困っていることが多いのです。
あきらめて、公園で走り回って遊べばいいのですが、友だち同士でゲームを楽しみたい気持ちもわかります。

だから、学校や地域公認の、大人が見守る「居間」があれば、子どもたちは喜ぶと思います。

自宅を開放するのでも、地域の集会所を借りるのでも。

ニーズと情報を吸い上げる

子どもたちが集まるようになれば、そこから、彼らの、あるいは彼らの親のニーズを聞き出すことができるかもしれません。
自分の周りで、心配だと思う子の情報を教えてくれることもあるかもしれません。

そうなれば、きっと、やるべきことが見えてくると思います。
それはもしかしたら、子ども食堂ではないかもしれません。

家族支援プログラム
①解決したい地域課題を見つけ、
②それに対する効果的なアクションがなんなのかを考え、
③今あるリソースの範囲でできることをする。