ファミリーライフエデュケーションは、成人教育学の手法を使った家族支援の一形態です。
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ファミリーライフエデュケーションって?
ファミリーライフエデュケーションは、急速に変化する社会、多様化する価値観の中で、従来のやり方では立ち行かなくなった家族生活とその幸福を支援するために、また、児童虐待や少年事件など、家族に関連した社会問題に対する教育的予防的アプローチとして、数十年前にカナダ、アメリカで成立したものです。
カナダ、アメリカではある程度の周知を得ていますが、日本では、まだその存在すらほとんど知られていません。
ファミリーライフエデュケーションは、直訳すれば「家族生活教育」ですが、日本で似たような名称で呼ばれる類のそれとは、根本的に異なります。
日本における“教育”は、「足りないところ、劣ったところを標準以上に引き上げる」「教職者、専門家が上から指導する」もの。一方ファミリーライフエデュケーションは「その人の持っているものに注目しそれを伸ばす」「専門家は情報提供者あるいはファシリテーター(伴走、促進する人)として機能する」ことを基本におきます。ファミリーライフエデュケーションでは「標準」「こうあるべき」という規範はなく、「個人の事情」「本人のニーズ」が可能な限り優先されます。
ファミリーライフエデュケーションの守備範囲
ファミリーライフエデュケーションの守備範囲は、家族に関すること全て。具体的には、結婚、出産、子育て、子育て支援、離婚、高齢家族およびその各種問題解決と幅広いものです。主に、講座、講演、ワークショップの形で行われ、参加者の意見をシェア(共有)しながら、インタラクティブ(相互的)な関係の中で、その時々のFLEが成立します。
「社会的弱者の状況に気づくセンスを持ち、必要に応じて擁護者としてのスキルを提供」など、一定の基本的条件はありますが、各ファミリーライフエデュケーターの知識・認識・裁量と、毎回の参加者のリソース(持っているもの)によって内容は大きく変わります。
ファミリーライフエデュケーションは「生きた学問」であり、また、今までにないコンセプトのものです。
そしてそれが選ばれるのは、他の家族支援の実践同様、「効果的」だからです。
道のたとえ話
David Maceは、1990年に亡くなるまで、長い間、夫婦や家族向け予防教育プログラムの第一人者であった。
彼はしばしば、曲がりくねって大変危険な山道の果てにある深い谷に位置する小さな町のたとえ話をした。
町に続く道は、暗くて狭く、一番危険なカーブを知らせる何の標識も、ミラーもなかった。
そのため、何年もの間、何台もの車が、崖に突っ込んだ。
多くの人々は重傷を負い、死に至る者もあった。
ついに町の行政が、なんらかの対策を立てることにした。
何週間かの調査研究を経て、行政は対策を講じた。
その結果、救急車が崖の下に待機することになり、これによって、事故が起きた時、生き残ったものは病院に搬送され、運がよければいくつかの命は助かることになった。
非論理的な点は明らかである。
なぜ、事故が起きるまで待っているのか? なぜ、標識やミラーにお金をかけないのか?もしそうすれば、たくさんの事故が防がれ、お金だけでなく、悲劇も、ずいぶんと少なくてすんだはずなのに!
ファミリーライフエデュケーションとは、なにも起きていないときに予防的に関わるアクションです。
ほんとうは、その方がかけるお金も専門性も少なくてすむ。
医者やカウンセラーは専門性も高いし、お金もかかる。
ファミリーライフエデュケーターは、もちろん専門性は必要だけれど、それらほどではないし、その分、彼らほど高いお金をとりません。
けれど
大けがを治療することが目に見えてわかりやすいように、家族が壊れてしまった後にそれを劇的に修復する支援は、目に見えてわかりやすい。
一方、カーブミラーの有無なんて、運転していて気になるものでないように、なにも起きていないときに予防的に関わっても、その効果は目に見えにくい。
と嘆くこのたとえ話でさえもう何十年も前のものなんですけどねえ……。
億万長者のアイオワ人
48歳の時、ジョンスミスは億万長者のアイオワ人になった。だが、アイオワ宝くじに当たったわけでも、大金持ちになったわけでもない。ただ、彼のケアと社会の治安のため、アイオワの納税者に百万ドル以上のコストをかけさせているのである。
ジョンスミスは成人してから、トータル約20年を刑務所で暮らしている(不法侵入、強盗、傷害が主な理由)し、少年時代は少なくても3年以上は訓練施設や更生プログラムにお世話になっている。
彼の刑務所暮らしのコストは450,000ドル、加えて少年期のプログラムコストは175,000ドル、刑務所にいない時の保護観察コストは40,000ドル、裁判費用は150,000ドル以上にのぼる。この他に、精神障害を予防するための医薬コストが175,000ドル。
ジョンスミスの母親は高卒の資格を持っていなかった。そしてほとんど常に極貧状態で、時々生活保護も受けていた。
子どもを産むとき、何の産前ケアも受けられず、彼は早産の低体重児であった。
ジョンは異常な活発さと混乱した家庭環境に悩まされ、母親は彼が7歳のときにコントロールしきれなくなって、ジョンは、養父に虐待された。
学校ではしつけの面で問題視され、最終的に10年生を修了せずに終わった。刑務所の中のプログラムによる援助で、GED(義務教育終了か?)はついにとることができたけれど。
ジョンは、納税者に課したコストのほかに、近所の住人から300,000ドルの物品を奪った。また、彼は二人の子どもの父親だが、そのうち一人は訓練施設行きの候補者である。ジョンは、次世代の億万長者のアイオワ人を確保する手助けもしていることになるだろう。
こうしてジョンの例を見ていくと、どうすればジョンや社会にとっていい結果がもたらされたか、指摘することができる。
もし、ジョンの母親が妊娠中に支援、相談、産前ケアが受けられていたら、彼女は健康な出産ができたかもしれない。
もし彼女が、自己を高めるトレーニングや家族を発展させる機会を得ていたら、経済的に安定した家庭をつくれたかもしれない。
もし、ジョンがごく小さい頃に、健康に関する初期的、予防的なケアがなされていたら大人になってからそれほど多くの医療行為は必要なかったかもしれない。
もし、ジョンの家族がペアレンティングプログラム(親教育)やホームビジット(家庭訪問サービス)を受けていたら、ジョンは虐待されず、怒れる少年にならなかったかもしれない。
そして最後に、もしジョンが励まされ、勇気づけられていたら、高卒の資格をとって、キャリアを発展させていたかもしれない。
端的にいって、ジョンが小さい頃に、予防的投資(何十万ドルというより何千ドル程度)がなされていたら、彼を、社会の脅威ではなく、社会に寄与する人物にする手助けができただろう。成人してからの期間、もしジョンが彼の世代の平均年収の3/4でも稼いで、アイオワ税を30年以上払ったとしたら、その額は50,000ドルぐらいにはなる。そして一番重要なのは、彼の子どもたちが依存でなく成功への道を歩めただろうということだ。
そうすると、全体として、ジョンは社会に何十万ドル分の寄与をすることになるのだ。同じ額を社会から消耗してしまうのではなく…。
ここに出てくる、ジョンやその親が「もし〜たら」という一連のプログラムやサービスの例が、すべてファミリーライフエデュケーションです。
基本はオリジナルプログラム
日本でわりと浸透しているファミリーライフエデュケーションのプログラムに「ノーバディズパーフェクトプログラム」があります。
しかし、プロのファミリーライフエデュケーターである私から見ると、あのプログラムが日本で広く実施されていることは、少し不思議な感じがします。
なぜなら、ファミリーライフエデュケーションプログラムは、その土地、対象となる人達を前提とした、オリジナルプログラムが基本だからです。
オリジナル、とはもちろん、自分で創るという意味です。ノーバディズパーフェクトプログラムは、カナダの移民や貧困層に向けたパッケージプログラム(オリジナルではなく、一定の対象者向けにパッケージ化された汎用プログラム)なので、日本人向けに直輸入して実施するものではありません。
少人数、複数回、ファシリテーターのいる多方向コミュニケーションというのは、ファミリーライフエデュケーションの基本的な手法。
カナダ、アメリカでは、百以上あるパッケージプログラムも、それぞれの土地で行われているオリジナルプログラムも、ほぼこの手法で行われています。
だから私は、日本でも、それぞれの土地で、地元の家族支援者が、その土地の人、対象者に合ったオリジナルプログラムを創って実施するのが、本来のファミリーライフエデュケーションだと思います。
ファミリーライフエデュケーターの仕事
コミュニティ(団体、地域)のニーズと要望を把握し、そこにあったオリジナルプログラムをゼロから作り、運営することができるのが、ファミリーライフエデュケーターです。
もちろん、それだけじゃなく。
対象の人数やキャラクターによって、手法を使い分けられるとか、参加者が快適に参加できるような工夫をいろいろ知っているとか、自分の手に負えないときの繋ぎ先をもっているとか、その他諸々……。
とにかく
ファミリーライフエデュケーターは、けっこう大変です。